明日提出のレポート(2つ)がまだ終わってないのですが、これはポストせねばと思ったので。
http://www.chikawatanabe.com/blog/2009/04/future_of_japan.html機会があって上記の渡辺千賀さんという方が書かれているブログを読んだのですが(この人のことを存じ上げているわけでは一切ないです。たまたま似たようなところに住んでいるため、名前をお聞きする機会はありましたが)、一言とてもがっかりしてしまいました。誰しもそうだと思いますが、私はあまり人のことを批判したりするのは好きではないです。ただ今回こればかりはどうしても思うところがあって、ポストしています。
私は、いろいろな機会があって、現在こちらに住んでいます。でも、当然のことながら、これは自分の力で成し遂げたというよりは、家族、友人、そして社会周囲の環境のおかげでたまたまここにいると思っています。いろいろな分岐点がありました。いろいろな人がいろいろなところで支えてくれて、結果としていろいろなリスクをとることができて、ここに来ることができて、そしてここで勉強や仕事をすることができています。いろいろな苦労はところどころであったかもしれませんが、今生きていて、ここで勉強や仕事をさせてもらっている時点で十二分に幸せだと思うわけです。「ありがとう」の気持ちです。
私は自分の国がとても好きです。責任感のある人々、相手の立場を考え、尊重したふるまい、じっくり考えて物を話す話し方、格差が出てきたとはいえ、それでも世界の中では格差もない部類だと思いますし、少なくとも格差社会はよくないんじゃないかという風潮がしっかりあると思います。サービスレベルは私がいった国の中では世界一だと思います。すごいですよ、日本のサービス。へんな「自己責任」の度合いが少なく、とてもストレスレスです。
当然いろいろな考え方があって、どれがいいとか悪いとかはないと思うのですが、少なくとも私個人は、私が感謝していて、好きで、友達や家族が多くすんでいる日本やその社会に対して、「日本は立ち直れないから海外にいってそのまま残ろう」という文面や考え方をみるのはとても、悲しい感じがしたのです。
日本がいい状況かよくない状況か、といわれたらよくないと思うかもしれません。でも、相対的にどうかといわれたら、その比較は簡単ではないでしょう。たとえば、日本には、人としてのマナーや魅力を持った、責任感の強い人が多いと思います。さらに、住みやすさの基準は人によってまったく違うでしょうし、将来の見通しなんてこれからの施策や前提しだいでいろいろ変わるでしょう。たとえば、アメリカの政治がいいかどうかですら大いなる疑問なわけです。オバマのプレゼンテーションは格好いいですが、医療政策ひとつとって言えば、保険を持っていなく病院にかからない人(ERに駆け込む)がこんなに多い国がモデルとも思えないですし。要は、どこの国もいい面もあれば、問題も多く持っているわけです。
そんなよくない中でいろいろな形で、みんながんばっているというのが現況だと思います。僕の友達のパキスタン人は、卒業したら国に帰ります。彼は真剣に、自分が生まれ育った国や社会をよくしたいと思っています。パキスタンの状況が日本よりよいか悪いかをコメントするつもりはないです。ただ、その姿勢から感じ取るものは大きいですし、そういう人をみて、少なくとも自分は自分だけ恩恵を楽して生きていけばいいやとは決して思えないのです。
さらに、著者の書いている「成功」とか「幸せ」の軸にも、残念ながらコメントせざるを得ません。成功体験は、その人が目標を定めて、成功だと思うことでできるものなので、それは「お金」であるとは決していえないし、中国やシリコンバレーにいった(いた)からできることではないと思わざるを得ないのです。要は目標の設定の仕方であったり、価値観であったりなわけで。それをどう設定するかが重要なわけで。正直お金だけが軸だったら、税金があんなに高い北欧は不幸せですか?と聞きたいですし、一人あたりGDPとかも、幸せを説明しないでしょう。文化やそこに住んでいる人など、お金や単純な計数では説明できない要素が世の中には多いんじゃないかなあって僭越ながら思うのです。
確かに運がよくて他の国(アメリカも含めて)に住む機会があれば、その国なりのよさがあって違う経験ができると思います。ここにしかないものは多いです。住んで感じること、わかることも多いと思いかもしれません。英語はしゃべれたら、しゃべれないよりいいかもしれません。だからといってそれがすべて素晴らしく、日本に残ることがそうではないかというと、そこは大きな疑問です。幸いにして機会を得て他の国にいくチャンスがあったとしても、どこの国にいても、がんばったり感受性を高めたりしなければ、のうのうと暮らしただけです。キャリアの見た目の響きは美しく聞こえるかもしれませんが、そんなメッキはすぐはげます。2年であれ、それ以上であれ、ほかの事ができる数年間を失っているともいえます。この2年間一生懸命別のことに日本で打ち込んでいたら、違った人生だったでしょう。どちらがいいかなんてわからないです。ただわかるのは良きにせよ悪しきにせよ違う人生になるということだけです。要は、どこにいても精一杯人間としての力を高め、いろいろなことに挑戦したり、いろいろなことを感じたりするなかで楽しんだり幸せを実感できたりすることは多くできるんじゃないかなあと思うということです。
「人は人、わたしはわたし」というタイトルが物語っているように、いろいろな考え方があってもちろんいいと思います。この方は、シリコンバレーで活躍されている方とお伺いしました。きっと数々の素晴らしい経験をなさってきているのだと思います。ただ、私は学校を卒業したら、微力ではあるもののほんの少しでも、お世話になった社会に自分の力をできる限り活かして貢献できたらいいなあって思っています。自分ひとりで生きてきたわけじゃないので。それが少しでも実感できたら、どんなお金を稼いで、私はすごいとアピールすることよりも、ずっと成功だと思いますし、生きてきて幸せだと思うんじゃないかなあと思います。少なくともわたしにとってはそういう生き方のほうが幸せです。きれいごとに聞こえるかもしれません。でも、そう思うのです。
posted by は at 05:54| サンフランシスコ ☁|
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