2009年01月23日

Independent Study - Quality of Care(医療の質)

昨日の夜から、本当に久しぶりの雨がふっています。
年末から年明けにかけて振る雨が今年はほとんどふらず、早速水不足が心配されていたのですが、数日雨が降ることで(一回ふりだすと数日雨かくもりという感じ)、すこしは状況がよくなるといいなあとおもっています。

さて、先学期とった授業のいくつかを紹介したいと思います。そのひとつがQuality of Care(医療の質)というテーマについてのIndependent Studyです。Independent Studyとは何かというと、教授と生徒がテーマを決めて基本1:1で(あるいはグループで)授業をし、単位をもらうというものです。テーマは基本的に授業にないもので、生徒がどうしても勉強であったり、分析であったりしたいと思うものといったところでしょうか。ビジネススクールであれば、ビジネスプラン作成とか、無給の企業や非営利団体へのコンサルティングとかを単位にしてもらうひとがいたように思います。

私はヘルスケアマネジメントを学んでいて、医療機関に対するコンサルティングの経験が有るとはいえ、お医者さんなわけでもないわけですから、医療の質にたいする考え方を一歩掘り下げて持っていることは、今後この業界に対して深くかかわっていく上で、重要であるとおもったわけです。

本来は、School of Public HealthにはQuality of Careという授業はあるのですが、それがあいにく去年の秋はキャンセルされてしまい、学部に、でもどうしても医療の質について勉強したいからIndependent Studyで授業をさせてくれ!と頼んで、Independent Studyとして授業をしてもらうことになりました。

具体的には、
・School of Public Health(私はSchool of Public Healthの学生でもあるので)から2単位もらって
・そもそも医療の「質」とは何か、それをどのようにはかるか、計数管理するか、また、その質を上げていく手法と、それぞれのその良し悪し、そして実際にそれらを各事業体(公や、病院、診療所など)が協力して施策する上での障壁や、質向上施策を導入する際の成功事例、失敗事例とその要因などについて
・論文を読み(2単位でこんなに?5単位分くらいなんですが・・・と思いました)、まとめ、批評し、それを基に先生と1:1で議論をし
・そして小さな(作業量は多かったですが)プロジェクトをひとつやりました。

それを通じて思ったことを2つほど

1.Independent Studyはとても良い制度です:学びたいこととテーマががっちり合うし、先生との時間をじっくり持てる

上記の通り、私は医療における経営について学んでおり、卒業後は、学んだことをつかってほんの少しでも社会に貢献できればと思っています。なので、将来このテーマについての知識が役に立ちますかといったら、必ずそうだと答えると思いますし、学んだことを活かせそうですか、といったらまあ間違いなくそうなんだろうとおもいます。

なので、先生とのがっつりとした議論とかの後とかにも「ああ、こういう考え方はこういうときにしたらいいかも」とか、いろんなものが「わいてくる感じ」がして、とてもよかったです。会話や議論がどんどんどんどん深まっていく感じは、なかなか10人以上の教室では味わえないので(その分色々な視点について聞くことができますが)、そういった意味でも、とくにこの「質」というテーマではとてもよかったと思っています。

2.現場経験をしっかり持っている教授の場合、「リアルなコメント」がきけて面白いことが多い。

もちろん、研究者としてやってきた人でも面白い授業をする人がたくさんいます。ただ、個人的には、実際のビジネス、特に現場に近いところにいた人の場合、「つぼ」を押さえていたり、考え方が共感できる(すっと入ってくる)ような気がします。

今回の教授は、UCバークレーの教授でもありながら、他の組織でもビジネスパーソンとして働いているドクターで、現場の感覚とアカデミックの視点を持ち合わせた人でした(とても切れ者で、かついい人で面白かったです・・・先生が忙しすぎてスケジュール調整にてこずったのが難でしたが、まあそんなのかわいいものです)。なので、議論していてとても勉強になることが多かったです。

特に「質」についての議論は色々な理由で「答えがない」ものであるがゆえに、人との議論を深めることは本当に自分にとって、「気づかなかった(あるいは忘れていた)落とし穴」的ポイントについて考えさせてくれたり、共感できる問題のりこえかたであったりと、個人的にはかゆいところに手が届く感じがとても好きでした。

正直、この授業のおかげで、前の秋学期、私の週末はかなりやられてましたが、多分卒業しても記憶に残る授業の5本の指に入ると思います。Nativeレベルからは話しも書きも遠い私に丁寧に付き合ってくれて、いい刺激をくれた先生には感謝しているのです。
posted by は at 13:06| サンフランシスコ 🌁| Comment(3) | 授業 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年01月19日

Amtrak アムトラック

私達は、アムトラックに大変お世話になっています。アムトラックって何ですか?とお思いの方もいるかもしれません。アムトラックとは、一言でいうと「列車」です。
車大国のアメリカで列車かよと思われる方も多いかもしれません。そうです。列車です。

私は、正直にいって車を運転することが好きではないです。1年半住んで、いままでで自分の運転でいった最も遠いところは、1時間圏内のサンノゼであるというところから容易に想像してもらえると思います。
運転はどういうわけか、すごく疲れるわけです(完璧に個人の問題ですが)。幸い、わが家には私以外に運転ができる人がいるので、とてもありがたいですが、いつもおんぶにだっこというわけにもいかないので。

そんなこんなで、遠くに行くときに、アムトラック、今までいろいろな区間で(インターン中の出張なども含めて)6−7回のりました。

勝手な分析に基づく特徴を言うと

1.遅れる→基本的に時間どおりこないことが多いです。10分とかではなく、1時間とか。もっととか。

2.遅れてほしいときには遅れない→ヨセミテに行ったときに一度とアムトラックとバスでいったのですが、その帰りのこと、雪でヨセミテからのバスが20分くらいおくれました。どうせ、まだアムトラックきてないだろうとたかをくくってたら、そういうときに限ってオンタイムで来ており、すでに出発済みでした。
乗る予定だった電車がバークレーに戻る最終列車だったので、いろいろと軽く大変な目にあいました。(最終的には家にその日の夜中には帰れたので良かったですが)

3.運休する→ふとたまに運休するので、最後の最後まで油断ができません。


今回の休みには、サンフラン→シアトル→シカゴ→サンフランと旅行をして、途中でアムトラックを計画にすえていたのですが、今回もアクシデントが。

当初の予定では、シアトルまでは、飛行機でいって、シアトルからEmpire Builderという列車にのってシカゴにいき、シカゴから、California Zephyrという列車にのって、サンフランシスコに帰ってくる予定にしていたのですが、出発の前日になり、アムトラックから電話が。「なんだかいやな予感が」とおもったら、まさしくその通り。出発日のEmpire Builderが運休になったと。で次に出発するのは3日後だと。
まあ、天候とかは私達ではどうにもできないですけど、さすがにぎりぎりだし、しかも3日後だったらシカゴに着いたあとの宿泊とかホテルとかの手配どうするの?と思い、やむなく飛行機でいくはめに(結果シカゴが長くみれてそれはそれでよかったのですが)。

シカゴも雪だったので、帰りのシカゴ→サンフランシスコ便もまた運休かと思いきや、何事もなかったように出発。ほっとしたのもつかの間、いきなりスローダウンで、最初の6時間で4時間遅れって・・・。最後結構挽回しましたが、当初は、1日くらい遅れて着くんじゃないかと思いました。


そんなかわいいところのあるアムトラックですが、実はほんとに、やめられないよさがあるのです。

1.景色が感動的:アムトラックは狙ったかのように景色がいいところを走っています。California Zephyrはとりわけその極みだと思います。すごいです。シカゴを出て、ミシシッピー川、ネブラスカの大草原(大雪原)、ロッキーの山々、ユタでみた無限の星、断崖、シエラネバダの緑、レイクタホ、そしてだんだんエメリービルに近づくにつれて増えてくる建物やきれいな橋などなど。景色は、自分の眼で見て感じるものだなあと、写真には決してできないと思うことが何度となくありました。(たとえば、満天の星は、写真でうまくとれない)。

2.本も読める、酒も飲める:運転する必要がないので、疲れもなく、酒が飲みたいときは酒を飲んでも誰も文句をいいません。本を読んでも、ぼーっと星を見ても誰も文句はいいません。(当然車でないといけないところにはアムトラックではいけないので、それぞれ違った良さがあるということです)

3.のんびり:シカゴからサンフランは列車では50時間!50時間ってさらっといいますが、新幹線で東京→新大阪を約10往復できる時間です。そんななか、ただただ列車にゆられ、現代の文明の利器(とりわけ電話とネット)と離れ、読みたい本を読み、酒を飲み、お菓子や食事を食べ、(お腹がすいたら、売店にいけばいい)話をし、音楽を聴きそして何よりも贅沢な景色を眺めて、気が向いたら写真をとり、眠くなったら寝台車で寝る。室内につかれたら、大自然の中の途中の駅(外に降りて10分くらい休憩できる駅が何時間かに1回ある)で吸う空気もおいしいです。何もしない時間、何よりもの幸せだと思いました。


そんなこんなで、片道ぎりぎりで運休されたにもかかわらず、間違いなく、またアムトラック乗ると思います。アメリカの自然は広大で本当に心を打つものがあります。本当です。そんな中では運休も、遅れもまあ許せてしまうわけです。今度ものんびりと、お金はたいしてかからないけど、心洗われる旅に出たいと思うわけです。




写真:まあ50時間も乗っていれば色々な景色に出会うものです。写真では、圧倒感とかを上手く伝えられないのが残念なところです。私はとても感動しました。

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posted by は at 15:15| サンフランシスコ ☀| Comment(1) | 行ってみました | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年01月05日

夕景、夜景

私がバークレーの好きなところのひとつに、バークレーの丘、あるいはケンジントン(バークレーの隣町)からの夕景、夜景があります。

バークレーは日本で言えば神戸とか、尾道とかに近いつくりになっていると思います。背後には山があり、前面には海があり。特徴的なのは、その海の向こう(といってもそんなに遠くないですが)にサンフランシスコとゴールデンブリッジがあるということです。山や丘から眼下に広がるバークレーの街と海だけではなく、その向こうのサンフランシスコ、ゴールデンブリッジ、ノースベイの山々、そしてサンフランシスコとイーストベイエリア(バークレーとかオークランドなど)を結ぶベイブリッジをまでが視界にしっかりはいるこの地は、とてもいい景色だと個人的には思います。

バークレーからの夕景と夜景の特徴を述べると:

夕景:
サンフランシスコの側(ゴールデンゲートブリッジの方)の山の間に陽が落ちていき、摩天楼とその北の山々にかかる空が、赤い層と暗い層に二つにわかれ、次第に赤い層がすくなくなって空が暗くなっていく様は心を打つものがあります。

夜景:
バークレー、オークランドの住宅などの(高い建物は少ない)柔らかいオレンジ色の光の波の向こうに漆黒の海があり、その向こうには高層ビルが立ち並ぶサンフランシスコの光(クリスマスシーズンはビルの外枠もライトアップしている)が眺められます。バークレーのあたりは、星もとてもきれいです。

冬はとても景色を楽しむのにいい季節です。他の季節よりも空気が澄んでいるし、霧の影響も少ないと思います。雨の日もたまにはありますが、大体晴れてますし。総じて寒くはないです。

写真にすると、感動が伝わらないといつも思ってしまいます(まあ、それは自分の腕不足だと思いますが)。なのでここではあえて写真を載せることはしないですが、サンフランシスコに来る機会があれば、バークレーの丘(バークレーヒルズとよばれる)やケンジントンからの夕景をながめるのも、ひとついいかもしれません。

東京とかNYとか大都市の夜景も「圧倒」される強さがあると思います。バークレーからの夕景、夜景には、それらとは一味違った、自然と人工建築物のマッチした美しさ、感動があるように思います。
posted by は at 05:18| サンフランシスコ ☀| Comment(2) | バークレー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年01月01日

新年を迎えて

カリフォルニアでも2009年の新年を迎えました。サンフランシスコの花火は、霧が若干でていて、今年はあいにく家からはみえませんでしたが、おかげさまでバークレーやオークランドなどイーストベイの花火を家から少しではありますが、楽しむことができました。こうやって健康で新年を迎えられることに感謝しています。

2009年も、いろいろいい経験をして、実り多い1年にしたいなあと思います。とりわけ、人間としての力(感受性や共感することであるとか、好奇心であるとか、ユーモアであるとかそういった類のものです)がよい刺激をうける1年であるといいなあと思っています。そして、ビジネス的な立場、金、名声などをもっている、もっていないにかかわらず、人にあたたかいものやエネルギー、希望を与えられるそういう人になっていきたいと思うわけです。

今日、普段見ない日本語チャンネル(大晦日ですからねー)でベッキーが言っていた事で(ベッキーはその番組で、面白いこと(冗談とかではなく、内容的に)を結構言っていて、素晴らしいと思いました)。2008年のニュースを振り返ってのベッキーにとっての2009年のキーワードは「思いやり」で、「頭」で考えることも重要だけど、なにより「心」で感じて先に進んでいくことが大切、というようなことをいってました。

2009年であろうが、2010年であろうが、2020年であろうが、2050年であろうが、心とか思いやり、そして人間力の大切さだけは、このめまぐるしく変わる世の中にあっても変わらないと思います。今までのキャリアのなかで、世間から素晴らしいとされている人(たとえば、若くして名の知れた会社で上の役職にいるとか、書いた本の人気があるとか、すごい稼いでいるとか)と幸いにしてでいろいろな方にお会いして、お話をさせていただいたり、一緒に何かをさせていただく機会がありましたが、人間としての魅力は全くその世間の評判や名声と無関係だなあと思うのが正直なところです(人間としてもっと知りたい、面白い、尊敬できるなあと思う人もいれば、全くそう思えない人もいるということです)。そして当たり前ではありますが、世間的に名声が有るわけではなくても人間的に刺激を与えてくれて、エネルギーをくれる人にも(年齢や住んでいる場所、そしてバックグラウンドを問わずして)多くお会いさせていただく機会がありました。

私は、名声か人間力かなら、人間力をとるような社会人生活をおくりたいと強く思います。偉そうな、きれいごとに聞こえるかもしれませんが、そう思います。そして、なりたいというだけではなく、深みのある人のための準備の1年として、留学の1年を活用したいなあ、そういった思いを強くした、年明けでした。

出だしから、生意気な発言に見えるかもしれませんが、学生最後の年の新年ということで心意気を述べさせていただいた次第です。今年も何卒よろしくお願いいたします。
posted by は at 19:24| サンフランシスコ ☁| Comment(0) | 考えてみました | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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