こちらに再渡米後、昨日(金曜日まで)ベイエリアにあるヘルスシステム(医療機関のチェーンみたいなものとでも言えばいいのでしょうか)でフルタイムのインターンをしてました。学校が始まってもパートタイムで続けるのですが。インターンについては、また考えたことをまとめて、別の機会にでも。
早いものであさっての水曜日から、秋学期がはじまります。この一年は、あっという間でした。今までの一年一年もあっという間だったように思うのですが、今年はなんとなく違ったタイプのあっという間だった気がします。
こちらで勉強をすることの価値について、いろいろな考え方があると思いますが、私は何にも代えがたい有意義さを実感したと勝手に思っています。うまく表現できているかは全く分からないですが、私がこの1年間を経て、感じた一番のことは、ひとつのものを見たり、ある経験をしたときに、感じ取るものや情報が多く、そして深くなっているということではないかということです。
同じ環境で生活をしたり、仕事をしたりしていると、どんな社会であれ、知らないうちにその社会特有のルールを前提として受け入れてしまいます。その思考の枠のなかで、専門性を深めることはあっても、やっぱりその中でよしとされる思考パターンであったり、組織や社会の枠組みの中での言語で物をみることになるのではないかなあと、思ったりするわけです。
単純に知らなかったことがたくさんあるのはもちろんのこと、違う国で違う「ものの道理」があることに加え、バークレーや今のインターン先には、世界中からの色々なバックグラウンドの人がいて、過去に自分がしていないような色々な経験をしていて、色々な価値観をもっていて、色々将来やりたいことをもっていて、その目標についてよく考えていて・・・。自分が持っているものをいったんおいて、そういう人を知って、話して、そして一緒に勉強や仕事をしていくなかで、あるもの(何でもいいですが)を見たり聞いたりしたときに、今までなら、Aとしか感じなかったものが、Bもありえるなあと思ったり、実はCという意味合いなんだろうなあとかなどと感じ方が変わっていく。で、今までに考え付かなかったDがひらめいたとか。
そういった感じで(うまく伝えられているか分かりませんが)、同じみたもの、きいたことから、得られる情報量やその質が少しでも多く、よくなっているんじゃないかなあと。もしかしたら錯覚かもしれませんが。仮に錯覚だとしても、そういったものはお金ではかえないし、トレーニングでも得られないんじゃないかなあと思ったりしているわけです。
私は、あるひとつの出来事、事象、ときには発言や動作からどんなことを感じ取るかであったり、それらを解釈するためにどんな情報をもっているか(蓄積としても継続的にも)が意思決定や選択の質にとても大きく左右すると信じています。そういった意味で、とても重要な1年だったと思います。
この学びを自分が将来こころざしている、ヘルスケア分野での仕事にもいかしていきたいと思っています。ヘルスケアの専門の知識などについては、授業、インターンなどで座学、実学ともに勉強させてもらっていますが、結局そこから何を感じとるか、それを将来にどういかしていくかが重要なわけで、学んだ後、その学びを活かせるような人になっていければと思っています。
昔からの友達や大学や仕事での仲間の中には、この1年間、遠く離れたところにいるにもかかわらずに、メールや電話などで結構な頻度で近況とかを教えてくれたり、カリフォルニアを訪れてくれたりしてくれた人が思った以上に多くいてくれて、とても嬉しく思いました。メールをくれたり、話をしたりすると、当然みんな、いろいろ考えながら、頑張ってたりするわけで、そんなことあったよなあとか、自分も頑張らないとなあとか、とてもいいエネルギーになり、頑張れると同時に、幸せな気分になります。仲良くしてくださっているみなさん、いつもありがとうございます。そして今年もぜひ是非仲良くしてください。
一年前は、慣れないことも多く、私個人としても、家族としても、勝手を掴んでいくのに、時間を多くとられてきた気がします。
今年は、だいぶ勝手やここでのルールが分かっての一年。多かった学びをますます深く、広くしていければなあと思うのです。そして、もっと自分色を出していければと。ぼーっと過ごしても、ぎゅっと過ごしても1年。時間もお金もかけてきているわけですし、夢もあるわけです。多くのものを感じ取っていける1年をすごせればと思っています。